敬語なんかいらないから、もっと自分のために生きよう。

どうも。フジモリです。(ツイッター垢⇒@epic_fujimori

もうすぐ30歳が見えてきています。年上の人もまだまだ多いですが、年下の人も増えてきました。自分がどんどん老いていくのを日に日に感じます。

今も昔も変わらず思っているのが、「敬語なんていらないんじゃね?」ということです。だからといって今すぐ敬語を失くせるかというとそうではないんですが、要らないと思う理由がいくつかあるので、興味があれば読んでみてください。

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敬語を使うことで起きる弊害

そもそも敬語ってなぜ使うんでしょう?いつから出来ているのでしょうか。

少し調べてみると、古くから身分制度が根付いている日本では、上に立つものと下にいるものの差が顕著で、それが言葉にも現れていたとか、そんなことらしいです。

身分制度なんか今ないんだから、やっぱりなくなっていいと思うんですよね。

自分が感じる、敬語の弊害をいくつか並べてみます。

①仲良くなるための壁が取り払われづらい

年上・年下、先輩・後輩、なんていう上下関係みたいなもののお陰で、腹を割って話すような関係が生まれづらいと思っています。経験が豊富な人にアドバイスを求めやすい、というのはあるのかもしれませんが、別に年上の友達がいたらそれに勝るものはないはずです。

やっぱり同期や友達といった、敬語を使わずにいられる関係の方が、心の支えになるのは間違いないです。特に、自分の悩みはそういう人の方がいいですよね。

逆に、そういう壁を作ってあげたほうが上手くいくときもあります。あまりそこまで踏み込みませんよ、という意思表示です。お客さんと自分のような関係も、ある種似たようなものだと思います。日常生活において、敬語は必要ないのです。

②社会の常識という謎のルールで個人が圧迫される

敬語を使わないと「非常識」のように扱われてしまいます。これも結構ひどい話ですよね。

自分の会社に海外出身の子がいますが、この敬語にいつも頭を悩ませています。見てて結構かわいそうです。言葉の壁は、思ったより結構厚いです。

③グローバル化の流れに逆行している

2番と結構似ていますが、文化も食も欧米化が進み、教育もグローバル化を目指しているのに、いつまでたっても敬語はなくなる様相を見せません。

海外の証券取引所で、日本人は働きにくいと聞いたことがあります。

この株を買わないんですか?

という、否定形の質問に対して、

「はい」=「買わない」「いいえ」=「買う

一般的な日本人なら、そう考えて答えますが、英語では真逆になります。自分がどうしたいのか、を優先して答えるそうです。

これは言葉の壁でもありますが、敬語という文化が何か邪魔をしているように思えて仕方ないのです。謙譲語、という考え方があるように、相手の立場を重んじて発言するのが日本人の特性だとすると、敬語はグローバル化にとって弊害になりえます。

④本当に言いたいことが伝わらなくなる

過去の記事でも書きましたが、特にメールではシンプルに書かないと、相手に意図が伝わらないです。

関連記事:ビジネスメールで絶対に失敗するメールの書き方。

敬語を使おうとすると、どうしても文章が長くなり、何が言いたいのかわからなくなってきます。相手に失礼のないように、という意識は必要ですが、あまり気にすることもないように思えます。

敬語が本当に必要な場面

ここまで敬語が要らないと強く訴えてきましたが、全てが不必要とは思ってません。必要な場面もあります。

第一、この記事は敬語を使って書かれています。文章では、丁寧語はあっていいと思います。誰が見るかよくわからないので、あえてそういう壁を作っています。その方がみんな読みやすいからです。

また、敬語の考え方は今後も必要です。相手の立場を思いやって、何か行動するとか、尊敬の念を抱くとか、そういうのは重要です。

大事なことは、先ほど書いた敬語が持つ弊害をなるべく取り払って、自分が生きやすいようにすることです。今の社会は、自分自身を殺し過ぎているような気がしていて、自分のことをもう少し思いやってあげても良いんじゃないかな、と思ってますし、私自身にも言い聞かせてます。

自分を殺すのではなく、相手を敬えるように、敬語の呪縛から解き放たれましょう。

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